逝ってしまった人など・・・
2007年6月1日 日常wikipediaで「予備校」なんていうコーナーを見ていた。
予備校出身者、とりわけ複数年通っていたものにとってはなつかしの場所。
今の予備校の講師陣の名前があった。
かつて教わった先生のなかで、今でも現役(浪人生を教えいて「現役」なんていうことばはなんか妙だが…)は数えるほどしかいなかった。
もう引退している講師がほとんど、その中で何人かはもうお亡くなりになっていた。
あの頃でもう高校や大学の教員の一線級から退いた人たちが多かったから、時間の経過を考えると不思議でもないだろうけど、寂しいものだ。
でも、気に入っていた先生がまだ生きている情報があると思うと嬉しい。
相当お年を召しているのだろうけど、どんな風貌なのかな?
会ってみたいもの。
当時は大学の教員が予備校出向というパターンがあったが、今日ではそのパターンはめっきり減った。
予備校専任でないと、厳しい予備校教員はやっていけないのだろう。
あと、浪人生向けがメインだったのが、今では現役生向けのそれとシフトしていったのも大きな特徴。
少子化の影響は予備校の姿を大きく変えたんだなぁ。
予備校出身者、とりわけ複数年通っていたものにとってはなつかしの場所。
今の予備校の講師陣の名前があった。
かつて教わった先生のなかで、今でも現役(浪人生を教えいて「現役」なんていうことばはなんか妙だが…)は数えるほどしかいなかった。
もう引退している講師がほとんど、その中で何人かはもうお亡くなりになっていた。
あの頃でもう高校や大学の教員の一線級から退いた人たちが多かったから、時間の経過を考えると不思議でもないだろうけど、寂しいものだ。
でも、気に入っていた先生がまだ生きている情報があると思うと嬉しい。
相当お年を召しているのだろうけど、どんな風貌なのかな?
会ってみたいもの。
当時は大学の教員が予備校出向というパターンがあったが、今日ではそのパターンはめっきり減った。
予備校専任でないと、厳しい予備校教員はやっていけないのだろう。
あと、浪人生向けがメインだったのが、今では現役生向けのそれとシフトしていったのも大きな特徴。
少子化の影響は予備校の姿を大きく変えたんだなぁ。
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